パシフィックフィルハーモニア東京のコンサート(2022年5月11日)
先日は若菜さんが楽団員として活躍するパシフィックフィルハーモニア東京(東京ニューシティ交響管弦楽団から名称変更)の定期演奏会に行ってきた。同行者はwebサロンメンバーの松谷さん、クレアさん母娘、それに娘の夫と私の夫の合わ […]
2022年5月の検定作品(草書、隷書)
今回の検定は前回同様草書と隷書のみ提出した。楷書も行書も共に最高位の9段にあと一歩となったので、ちょっと一休みして草書と隷書を格上げする方に力を注ぐことにしたからだ。ところが今回の課題は今一つ相性が悪いようで、連休中にか […]
2月に提出した書道作品(草書・隷書)の検定結果は?
旅行記を書くのに時間がかかって検定結果の報告が遅くなってしまったけれど、今回は草書と隷書両方共めでたく昇段することができたのでここで改めて報告しておきたい。 そもそも草書はお手本を間違えて購入してしまったことから、やっぱ […]
2022年2月の検定作品(草書、隷書)
今回の検定は2月4日が提出期限となっているが、それより一週間早い今日(1/28)草書と隷書の2作品のみ提出してきた。12月に休んだことで練習期間も短かくなったので、楷書と行書は前回同様お休みすることにした。このところ草書 […]
臨時開催したチエさんとふたりだけのwebサロン
年内のwebサロンは前回で終了とアナウンスしていたが、臨時開催という名目で昨日チエさんと二人だけのwebサロンを行った。話題は 1.一昨日行われた若菜さんが出演したチェロとのコラボコンサートのこと 2. 石垣島旅行につ […]
2021年10月の検定作品(隷書)を提出
自転車の転倒事故で8月の書道教室もお休みしたので、今回の検定は隷書のみ提出することにした。何せ2か月も筆を持たなかったので練習不足も甚だしい。隷書を選んだのはこの書体がまだ初心者だから。今ようやく七語絶句(隷書の教科書) […]
7月の書道検定は楷書しか昇段しなかったけれど、ちょっと嬉しいことも
7月の書道検定の結果がようやく判明。検定結果が掲載された会報誌を昨日ようやく受け取ることができた。実は自転車の転倒事故で1か月ほど歩行困難になってしまい、8月に続いて9月も教室を欠席、昨日になってようやく結果がわかったと […]
2021年7月の検定作品(楷書、行書、草書、隷書)を提出
このところバイオリンの練習をさぼって書道の検定作品作りに集中していた。検定を受けられる機会は年間4回もあり、毎回提出するとなると結構な頻度になる。一昨年までは夏と冬の旅行で教室を休むことが多かったので検定を受ける回数は少 […]
5月に提出した書道作品の検定結果は?
5月に提出した作品の検定結果が出た。昇段を期待していた楷書は残念ながら今回も足踏み状態となってしまったけれど、前回に続いて行書も隷書も予想外の昇段となったので、ちょっと驚きつつ喜んでいるところ。提出した時の記事はこちら→ […]
72歳でバイオリンを始めるなんて無謀かしら?
古稀を過ぎたこの歳になって、突然バイオリンを弾いてみたくなった。もちろん今まで習ったことはなく、たった一度だけ体験教室に参加したことがあるだけ(★ITサロン仲間の壷井さんが企画してくれたバイオリニストの吉田篤さん指導によ […]
クラシックの名曲「展覧会の絵」をロックで聴かせてくれたELP
ムソログスキーの展覧会の絵といえばクラシックの名曲だ。私は子供の頃これを聴いて即座にお気に入りの一曲に加えたものだったが、この曲を更に魅力的なロックバラードに仕立てて聴かせてくれたのがEmerson, Lake & […]
ジャーニーのオープン・アームズは珍しい三拍子ロック
私の好きなロックバンドはギターやキーボードがメインのグループが多いけれど、ボーカルメインのバンドの中でも好きな曲はたくさんある。中でもジャーニーの1981年のアルバム「エスケープ」に収録されていたオープン・アームズはそん […]
2021年5月の検定作品(楷書、行書、草書、隷書)
昨年の長いお休み期間から復帰後は以前よりも書道が楽しくなってきた。というのも、それまでは真剣に取り組めば取り組むほど、うまく書けないもどかしさの方が大きかったのだけれど、しばらく離れていたおかげなのか、そんなもどかしさも […]
1月に提出した検定4作品は予想外の結果に
昨日の書道教室で1月末に提出していた検定の結果がようやくわかった。15か月振りに提出することになった前回はすべて昇段なしという当然とはいえ悲しい結果に終わったが、今回は楷書以外はすべて昇段という予想外の好成績。しかも行書 […]
パコ・デ・ルシアを偲んでフラメンコに浸る(2月25日の命日に)
先日パコ・デ・ルシアの記事を書いたばかりだが、今日はパコが66歳でこの世を去った命日に当たる。フラメンコギターの革命児となった彼のその後の挑戦を目にすることができなくなったことは誠に残念なことではあるが、幸いなことにYo […]